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2019年10月16日

ベルリンの街に流れるシュプレー川沿いに残る壁には、壁崩壊後の90年にドイツ、フランス、スウェーデンなど、世界各国から集まった芸術家が、自分たちが想う東西ドイツの歴史、社会主義の厳しさを絵画で表現しています。

中にはイランの画家の作品もあります。

これらの絵画を見ようと世界中から多くの人々が訪れています。

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2019年10月15日

イースト サイド ギャラリーとは崩壊したはずのベルリンの壁ですが、現在も一部残されており観光スポットとして観ることができます。

フリードリヒスハイン=クロイツベルク区のベルリンの中心部シュプリー川のすぐそばに残った壁はイースト サイド ギャラリーとされました。

このギャラリーは1990年9月28日に正式にオープンしました。

現在、このイースト サイド ギャラリーは自由の象徴としての国際的な記念碑とされています。

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2019年10月 9日

カール マルクス通りは旧東ベルリン地区にある大通りのことです。

アレクサンダー広場よりフランクフルト門まで約2.5kmほどの長さであり、その後はフランクフルト に方面へ延びるフランクフルト並木通りに続くそうです。

1949年にスターリン並木通りと改称されたそうですが、スターリン批判の流れを受け1961年に現名称カール マルクス通りとなったそうです。

沿道には1952年から1960年にスターリン様式の建築物が建設されました。

東ドイツが消滅するまでは国家的な行事を行う首都の大通りとしての役割を与えられ、メーデーのパレードや10月7日の建国記念日等に行われる国家人民軍の軍事パレードなどが行われていたそうです。

片道4~5車線の道路は軍事利用を可能にするだけではなく、東ドイツの威光を世界に示すという目的を持ち合わせていました。

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2019年10月 7日

ベルリンの壁記念センター(3)はベルリンの壁記念センターの屋上からの風景をご覧ください。

展望台は西ドイツ側にありますが、今と同じ風景を西ドイツの人々も見ていたはずです。

東ドイツのシンボルだったテレビ塔を見て何を思ったのでしょうか。

そして東ドイツの人たちは、何を考えながら壁越しの風景を見ていたのでしょうか。

この場所に立つと当時の人々の気持ちが思い起こされ、様々な感情がわき起ります。

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ベルリンの壁記念センター

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2019年10月 3日

記念館周辺へと近付くと壁が見えてきます。

実際に残されている壁はコンクリート製のもので60メートルほどしかありません。

ただし壁のあった場所には無数のポールが立ち並び、壁が街を隔てていたことを再現しています。

今となっては歩いて通り抜けられる場所ですが、かつては人々の生活や街を引き裂いた境界でした。

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2019年10月 1日

旧東ベルリンのベルナウアー通りは、壁建設当時に国境線に隣接するアパートの窓から西側へ飛び降りて逃げた人が多く、東西の分断が最も劇的な形で表れていることで知られる場所です。

現在はノルトバーンホフ駅から続くこの通り一帯が野外展示場となっていて、壁の一部や詳細な記録を見ることができます。

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壁があった当時は幽霊駅となったノルトバーンホフ駅。通路にパネルが展示されていました。

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2019年9月25日

展示は施設を再現したものの他に、ニュース映像や新聞、生活の様子を知ることができるスペースなどがあり、様々な角度から当時の様子を伺うことができます。

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2019年9月20日

かつての検問所の出国審査ブースが残されています。

このブースの前に一人一人立たされたそうです。

ガラスの向こう側に出国審査官が座っていて厳しくパスポートとヴィザのチェックを行ったそうです。

審査が終わるとこの扉のロックが解除されたそうです。

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2019年9月19日

フリードリヒ通り駅の北側に涙の宮殿 という建物があります。

ここはかつての分断時代には東ベルリンから西ベルリンに戻る際の検問所があった建物でした。

現在ではその当時の検問所についての展示がなされている一種の記念館になっていました。

かつての検問所の出国審査ブースが残され、大変リアリティーがあります。

このブースの前に一人一人立たされたそうです。

ガラスの向こう側に出国審査官が座っていて厳しくパスポートとヴィザのチェックを行ったそうです。

審査が終わるとこの扉のロックが解除されたそうです。

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2019年9月17日

ハッケシャーマルクトは、様々なオシャレな建物やショップが軒を連ねるエリアです。

駅の近くにはホーフと呼ばれ、アパートの中庭にショッピングエリアを設けた施設もあるそうですが、昼の休憩時間が短く行けませんでした。

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ハッケシャーマルクト駅のすぐ近くにユニクロがありました。右側の建物です。
中央の建物はホーフと呼ばれ、アパートの中庭にショッピングエリアを設けた施設です。

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比佐デンタルクリニック 院長 比佐進吉 比佐デンタルクリニック
http://www.hisa-dental.com/
院長 比佐進吉

大学病院時代そして開業してからも、休むヒマなく歯科の研鑽と診療に取り組んできました。今は、夏休みやお正月休みに少しお休みをいただき、旅行に出かけたり趣味の音楽を楽しんだりしています。

【経歴】
1980年 日本歯科大学新潟歯学部卒業 同学部歯科矯正学教室助手
1982年 日本歯科大学大学院歯科矯正学入学
1986年 同大学院修了 歯学博士授与
1987年 日本歯科大学新潟歯学部歯科矯正学教室講師
1990年 矯正学教室退職後、非常勤講師
1990年 内藤歯科医院勤務
1991年 比佐デンタルクリニック開設、院長就任
自立支援医療機関(育成・更生医療)および顎機能診断施設指定
2003年 医療法人社団運上会 比佐デンタルクリニックに組織改編、理事長就任